気にしなければいい

悪いことをしているワケじゃないし、たったそれだけのこと。日常生活を送っていて、自分のすることに周りがなにかしら茶々を入れてきても、さほど気になりません。しかし、こうやってブログを書いていたり、別の場でもいろいろ書かせてもらっていることに関してだけは、むちゃくちゃ気になるんです。

自己満足で書いているものもあるけれど、いろんな人に読んでほしいなと思うものもあるし、書きものを通して自分のことを知ってもらいたいという思いもあります。本気で取り組んでいて、でもまだ自信がないものって、周りの目が気になるものなのかもしれません。

なにか、好意的な反応をいただいたときなんて、そりゃもう飛び上がるくらいにうれしいです。一方で、普段表に出さない想いを書いていたりすることもあり、ふと目にした人がめんどくさい反応を取ってきたり(これまでも多少あり)、知人に呆れられたり(今のところなし)するのを、ものすごく恐れているという、
読んでほしいけど読まれたくない、矛盾とジレンマ、そういった思いを持っている自分がいます。

4月のコーチングで、このジレンマについても取り上げました。

何がそんなに気になるのか?を、より具体的に掘り下げて考えてみる。

漠然と抱えていた不安を、もう少し具体的に掘り下げてみました。それは主に2つ。

①家族や知人に知られるのが、最もこわいしはずかしい。
②めんどくさい(反感的な)反応がこわい。

そう感じるのはなぜ??もっと掘り下げると、

●家族にもし否定されたら、悲しい。

特に親世代は、インターネットやSNSというものに、疑心感を持っている人も多いと思います。自分のよくわからない世界で、そんな得体の知れない世界に、なんか発信しちゃってる。え、何してんの?!こらぁ~!的な。
なにがしたいのか、なにを表現したいのか、どう生きたいのか。大げさに思われるかもしれませんが、それくらいの気持ちをもって発信しているところもあるので、それを家族に理解してほしい、、、というのはエゴであっても、もし否定的に捉えられてしまったら、なにより悲しい。
●家族に迷惑をかけるのは、最も辛い。

知人経由で「おたくのゆう子ちゃん、こんなことしてるわよぉ~」とか噂されたり、「てかおたくのゆう子ちゃん、なにやってんのん?」とか、わたし本人にではなく家族に話がいって、もしそれが否定的または茶化した反応だったら。おそらく家族は不快だろうし、迷惑をかけてしまう。それは最も辛い。
●自分が日常的によく関わる人から干渉されるのはめんどくさい。

ほぼ毎日会っている職場の方々や、友達なのか知り合いなのか中途半端な関係の人とかに、バカにされたり冷やかされたりすると、イラっとするしめんどくさい。さらにはそれが仕事や会社に影響があったら、とてもマズイ。

こうやって書き出してみると、まだ起こっていない事象をただネガティブに想像してるだけで、自分がいかに小さいかを痛感させられて情けないのと、だんだん、そんなことど~でもいいじゃんと思い始めるから不思議です。
ほんじゃやめるれば?やめないんでしょ?ってことですよ。書き出すだけで、2~3割、いやそれ以上解決した気がします。

本当にそれはそんなに気にすることなのか?を、考えてみる。

それでもまだまだ考えます。

自分が気にしているのは、実はたったの少人数。目を向けるべきは別の人。
こうやって考えてみると、だれを一番気にしているかというと、家族、知人。それって人数にしたらどれくらいなんでしょう?
わたしの場合、普段の生活やFacebookの友達人数から想定すると、家族含むコアな人達は、せいぜい10人くらい。反応が気になる知人は、多くても50人くらいでしょうか。

もったいない。

たかだか50人と言っては横柄かもしれませんが、50人をビビっていてはなんもできませんよね。そんなの気にして自粛するなんて、なんてもったいなすぎます。
逆に、公表している一部の知人や、まだお会いしたことないけど読んでくれている人が50人いるとするなら、そんな50人の方々を気にした方が絶対にいい。その人数が増えれば増えるほど、ますます前進する勇気をもらえるのではないでしょうか。いや、逆にたった1人でも、「おもしろかったよ!次も楽しみにしてるよ!」って言ってくれる人がいるならば、周りがなんと言おうと、幸せなことじゃないか。

◎そもそも、理解されたいから、日ごろ表現できないことも書いているし、壁には必ず直面していく。
普段上手に意見したり表現したりするのが苦手だし、人付き合いも苦手なわたしだけど、だからこそたくさん考えたり悩んだり楽しかったりおもしかったりすることを、だれかと共有したいから、発信しているんです。

自分以外の人が、自分のことをどう思おうが、どう表現しようが、どう風潮しようが、それは自分にはどうにもできないことで、その人たちの自由です。最悪の場合、家族に迷惑がかかったり、仕事の進退にも影響が出るかもしれない。いつそういう日が訪れるかわからないし、訪れないかもしれない。ただ自分の行きたい道を進んでいく限り、少なからず絶対避けて通れないところだと思っています。

起きていないことをそんなに考えても無駄、という考えもあるかもしれませんが、わたしは逆。起こりうる最悪の事態がイメージできていれば、安心すらするくらいです。不安に向き合ってどんどん掘り下げて考えたら、意外に大したことないな、いや意外と大したことだから気をつけないと、と、冷静にみることができ、とても気持ちが落ち着く。そして、ここまで考えたからもういい!結局なにがあるかわからん!あとは勢いだ~!と、元気よく行動に移すことができるからです。

◎もしわたしにたどり着いてくれたなら、それはなにかしら引っかかるものがあるから。
ここまでたくさん考えてきたけれど、結局、意図しない人たちから意図しない反応があったとしても、それはそれで未知でおもしろいものです。それに、なにかしらその人がわたしに、共通するところや気になるところがあるから反応をくれるはずだし、そもそもわたしにたどり着いたはず。

ネガティブ要素を主に考えてしまったけれど、ポジティブ要素だってたくさんある。自分が弱ってまた人目が気になるとかウダウダ感じ始めたら、またこうやってじっくり考えて、じわじわ前向きになっていきたいなと思います。


以上、前編。
後編に続きます。